大人になんてなりそびれたままでいいの
もう12月…?大きめイベを記します。
さいたまスーパーアリーナのライブが、ちょうど去年の11月末だったはずだ。あれから約1年。去年は想像もつかなかったことがいろいろと起きた。いいことも、悪いことも。「来年の今頃は何してるかな?」と思ってた自分に教えるように、1年の答え合わせのような気持ちで当日を迎えた。
ドームのKing gnuは、本当にかっこよかった。
神の化身です。
ライブに行くと、頭がスパークする瞬間が何回も訪れると思う。マイケルジャクソンのライブで失神した人が出たのは有名な話だが、まさにその寸前まで行ってしまった。冒頭の一途は本当に記憶が飛んでいるし…
あとで見た「ジェットコースターのようなセトリ」もいう文言に、深く頷いた。セトリの流れの良さ、神がかった繋ぎが脳汁スパークの要因の半分は占めていたかもしれない。
私は音楽に文学を求めすぎている節がある。歌詞が刺さらなければ、そのアーティストの虜になることはない。どれぐらい文学を求めすぎているかというと、例えば新しいアーティストをディグるとき、歌詞だけバーっとスクロールして読んで、何か心にクリティカルヒットする要素がなければ聴くのをやめてしまうぐらいだ。
私がシンジくんなら、曲はエヴァンゲリオン。適合しないとエヴァが動きません。
自分でも良くないとは思っている。そんな私の偏り性癖に対してシンクロ率400%を叩き出すアーティストがKing Gnu。伊吹マヤも「初号機のシンクロ率が、400%を超えています!」って叫んでますいつも。
もちろんKing Gnuがいかに音楽的に優れているのかなんてことは百も承知だ。そんなことは音楽ライターに任せればよい。私は常田大希の歌詞と哲学がどうしようもなく好き。
ドームで聞いたKing Gnuは、どの曲も少し物悲しく聞こえた。何十回と聞き込んできたはずなのに、これまでこんな風に聞こえたことはなかった。去年のたまアリのとき思わなかったのに、ドームがでかいから際立つのか。 未来は不確かがちだし、自分を愛せないがちだし、明日どうなるかわかんないがちだし、でも歓声も罵声も飲み込んでいく。とことん自己修練ソングがおおい。
あとは子供のままでいたいがち。その悲しさ弱さ愚かさから目を背けない。向き合いすぎなぐらい向き合ってからどけどけ行くぞ の炎と圧がよい。
そして、振れ幅になぐられた。さっきまで大聖堂にいたのに(カメレオン 白日 prayerX
the hole、逆夢)カオスなスラム東京(千両役者、slumberland,tokyo rendez-vous,どろん、一途)にぶち込まれ、ぶち上げ(Flash 飛行艇 StardomTeenager forever)がくる。揺さぶられすぎて、脳内の喜怒哀楽を司る部分がゆっくりと正常な機能を失っていくのを体感した。マジで。
あと、King Gnuは『捨て身の刹那的な生』がテーマのバンドだ。Macdonald Romance『きっと永遠には続かないの明日には明日の風が吹くでしょういつものことさ、全て失うの その前に今を鮮明に焼き付けて』Flash『一瞬でいい 今だけでいい 歯止めはもはや効かねえんだ』Teenager forever『一体未来はどうなるのかなんてことより目眩く今という煌めきに気づけたらいいんだ』一途『光れ閃け猛スピードで 余力を残す気はないの』 it's a small world『明日のことなんてわかんないけれど 人生は止まらないし』千両役者『筋書きはいつも無理やりで 命を継ぎ接ぎ』とか、歌詞には如実にそれが表れている。刹那的な生を生きるということはつまり後先をごちゃごちゃ考えないこと。
it's a small world『大人になんてなりそびれたままでいいの』
teenager forever『等身大のままで生きていこうぜ年を重ねても』『いつまでも相変わらず つまらねえ話を詰まらない中にどこまでも幸せを探すよ』とか、子供のままでいることの肯定につながる。
大人になるなよ!って言ってくれるのが最近とても救いだ。"社会人になる"という避けられないイベントが近づいているから。誰もが通るモラトリアム街道だと分かっているが、いざ自分がここに立つと「このままでいたい、大人になりたくない」の気持ちが膨らむ一方。それは、大人になること=つまらなくなることという、ある種の呪いにかかっているからだと思う。
大好きな友達と、うたプリを観た後に「ずっと面白人(おもしろんちゅ)」でいたいねという話をした。ライフステージがどんな風に変わってもどんな職業でも、面白人精神を忘れたくないよ。いつでもコンテンツに大真面目に狂ったりし続けたい。「大人」の財力や自由度という良い面だけを享受する。型にはハマりたくないよ!!パートナーや子供の話だけが自分のネタになるような大人には絶対ならない!!!いつまでも楽しくいたい
今回のライブでガツンときた2曲。
Flash「密かに期待しちゃいないかい
思い通りに行きやしないぜ
やるせないね それでも主役は誰だ、お前だろ」のところ。生で聞いたら泣いちゃうんだろうなと思ってたけど、笑えた。すっごく肩の荷が降りた気分になった。「深い傷もいずれは瘡蓋になって剥がれ落ちるだろうか」という歌詞があるけど、少しずつ瘡蓋になってるんだと思う。すごく期待した。思い通りに行かなかった。「やるせない」が襲い掛かる半年だった。
ミュージカルも、まともに見れなかったな。
絶対に失ってはいけない悔しさや憎しみのガソリンは常に持っておく。いつでも好きな時に着火して、自分を奮い立たせられるようにしておく。でも、鍵付き金庫にとりあえず閉まっておこう、という気分になれた。これまではずっと手の届くところに置いていたけれど。
逆夢は、1音目からしゃくり上げてしまった。
まず、乙骨×リカ 五条×夏油、呪術のことを思って感情がスパークするのと、逆夢リリースされてから生で聞くまでのこの1年間のこと、「訳もなく涙が溢れそう」だった夜、冬の寒さがフラッシュバックした。夢が叶っていたとしても、1音目からしゃくり上げていただろう。
「足る」を知りたくない。
早速三日も空いていて、わろた。
11/18(金)
もつやきばん@中目黒へ。リスケを重ね、わたしの体調不良も相まって開催が危ぶまれていたが無事に決行できてよかった。
憧れバカ高レモンタワーをやるぞと意気込んで入店したものの、焼酎と炭酸の割合何も説明されなかった。なんかまあ、ええか!と、3杯分の焼酎がジョッキに入ってるのに1回分の炭酸で割ってぜんぶ飲んでしまった可能性がある。ショボ目タワーできた。最高だ。
おっぱい串おいしかった。タン美味しかった。もつ煮込み美味しかった。あんなにぶりぶり入ってるの最高だよ「風邪気味だからネギ全部あげるよ!」と友達がわけてくれたのは、まぎれもなく愛だったな
「まだぜんぜん飲めるわ…」な私たちの行く手をは阻んだのは2時間の時間制限。焼きおにぎりをややRTA気味で食べながら退店。
そのあとは酒とお菓子買って中目黒の桜並木のとこ沿いでしゃべった。私たちの手にかかれば、路上も居酒屋よ!
友達の「さいきん人間嫌いが加速してきて、潔癖すぎる」という悩みをきいた。
わかる。これは私たちが2人とも中高一貫育ちなことに起因してるんだろう。例えば中高とかからの長い付き合いの友達がいて、6年間で「この人はこういう人。こういうことはしない。」という勝手な幻想を固めやすくなってる。だからその反動で、「わたしが考えた○○ちゃんの行動原則」から逸脱する行動や発言をしているのを見るとダメージを受けやすくなってしまってるんだと思う。そんなケースが少しずつ増えて、人間全体への失望に変わっていくのかも。
たぶん、逆も然りでわたしも誰かからはこういう風に思われてる。でも、人間が嫌い!という感情って、自他境界の狂いはじめかもしれない。
何年一緒にいても、その人の全てを100%理解することなどできなくて、人間は変わっていく。変わり始め萌芽までも、全部把握した気になってしまっているだけ。
まあ、あとなんだろう。人間がキモい、嫌いなのは大前提として、達観するには私たちはまだ若すぎる気もする。私も友達も、自分で言うのは恥ずかしいけど、かなり同年代の中でも悟りを開いている部類だと思う。生きてきた20数年
という時間と、学んできた人生哲学の量が釣り合ってない。言い切る。これは、私が自分達のことを大好きな理由でもある。
けど「酒を飲め男と遊べギャンブルをしろ。」ということではなくて、マインドとしてハメをもう少し外した方がいいと思う。「お、人間キモ……嫌いだわ〜。でも私にもそういうところが沢山ある。お互い様ね」という風に持っていくのがベスト。
私は最近自分のキモさに嫌気がさしてて、私がこんなにキモいならみんなキモいのは当たり前。と思うようになった。 承認欲求や、何者かになりたい欲、そのくせ寝転んだり、日記も日付が開けてしまったりね。そういうところ。
「足るを知る」の境地には、まだ行かないように抗う必要がある。藤井風の聞きすぎには気をつけよう。自分たちの達観や悟りという、特大武器は大切に磨きながら!
ここで、一つ思ったこと。
ライフステージや経済状況の変化、職場や学校など新しいコミュニティで形成された倫理観、環境要因が「わたし」に影響を及ぼして、昔馴染み(たとえばXさんとしておく)からみれば「わたし」は変化していっているように見えるというわけだ。その変化によって、嫌われたり、レアケースだが逆にもっと好かれたりしていく。嫌われても、好かれても、「わたし」はXさんにとって友達だから、関係は継続していく。
その場合、Xさんは「わたし」の何がすきで友達関係を継続してくれるのか。いろんな環境要因によって、Xさんにとっては不快と感じるような「わたし」の変化が垣間見えたとしても、変わらず好きでいてくれるのはなぜなんだろう。どこなんだろう。
考えすぎじゃない?(笑)
友達には理由はいらないよ!
そんなの当たり前だ。でも「理由はいらない」じゃなくて、あえてそこを考えてみたい。
「わたし」の根本を大切にすることが、「わたし」のいわゆるキモさが露呈した時の救済になるんじゃないだろうか。 じゃあ根本を大切にするって何?環境要因によって、根本も少しずつポジティブ&ネガティブにかわっていってしまうものだ。誰も止められない。
でもたぶん、根本なんかないんだろう。友達と一緒に過ごしているときの、わたしの仕草や言葉とか笑い方とか眼差しとか。そういうものの蓄積が、友達からみた「わたし」を作り上げているんだと思う。だから、それを大切にしたい。
あとは、マカロニえんぴつの悪口を言った。
私はマカロニえんぴつや川崎鷹也に親を殺されたんだろうか。それぐらい好きじゃない。何かを「嫌い!」って言う時、そこには自分が人間として譲れないこと&許せないことが潜んでいるので、向き合うのがいいとされているよ。最強の自己分析かも。
私たちは「好きや嫌いの気持ちをはっきり言わず、相手にジャッジを委ねる人間が嫌い!」
相手に選択の余地を与えて慮っているようで、自分が一番かわいいんだね。はっとりは!という結論。エゴだよ。僕より先に死なないでほしいて… まあそういうエゴもいいけど。
「相手の前では謙虚でまっすぐでいながら、心の中に燃え上がるエゴの炎を消し止めようとする、けど無理」って苦悶の過程はめちゃくちゃおいしいし美徳。けど、エゴそのものを相手に押し付けんのはいや!
逆にひげだんは、全部いう。謙虚。相手ファースト。献身 自己犠牲 Subtitleはよすぎ。サイレント見てないけど。見るからね。かならず
そんな話をしながら中目から渋谷までただただ歩いた夜は宝物だった。東京勤務になりますように……………
ジョイフルないちにち
今日から日記を始めます。
絶対に更新し続ける!!!とちかって。
約8日の引きこもりを経て、昨日から外に出られるようになって嬉しくて仕方ない。外ってこんなに素晴らしいんだ。地球って大好き。
体力はかなり落ちてるのは実感した。だって十分も歩き続けたら若干息切れするからね。
ジョイフルメドレーのフラペチーノを求めて、数年ぶりに恵比寿に降りたけど、ガーデンプレイスまでの道のりってあんなに遠かったっけ?
動く歩道を3回ほど乗り直し、乗り直し、やっと到着したよ。結構普通にウォーキング。びっくりした。ついでに、寒さにも。
8日も家にいると、外界から取り残されてる感じで、8日前の気候を頼りに着てきたジャケットは、あまりにも勇気ありすぎウェアだった。明日はマフラーしよう。
ジョイフルメドレーのフラペチーノは美味しくて革命が起きた。ムースの、フワッと香るジョイフルメドレー風味が忘れられない。
物販コーナー、茶葉が山積みになってて、幻かと思った。手に取ったら実体があったから、幻じゃなかったみたい。「裏にもあります。この店舗は在庫めちゃくちゃあります」って自慢してた店員さん、よかった。所沢にはもうないからありがたく購入!
ジョイフルメドレーって幸せがつまった味すぎる。「ジョイフルメドレー」って名付けた人は天才。飲むたびに今年も一年頑張ったな〜って思っちゃうあじ。ついでに、楽しかったこととか幸せだったことが走馬灯みたいに頭をよぎる。まさにジョイフルのメドレー!ノスタルジー呼び起こされる!幸せとロマンのあじ。いっぱい飲むぞ今年も、いや、でも、痩せたいよ、いや飲むよ
久々に行ったゼミでは「不調和の調和(カテゴリの全く異なるモチーフが奇想天外な形で結びついている)」という単語を初めて知った。名作には往々にしてそういうところがあるよねみたいなことを教授が言ってた。私はまっさきにpk shmpooの歌詞を想起した。
僕と君と宇宙 玄関先の水たまり・アンドロメダの向こう。青いフェンスのサビ・第二宇宙速度
不調和の調和が巧みなバンドってわけだ!!
ヤマトパンクスは不調和の調和って言葉こそ出さないけど、意図的にやってるし。天才大好き。さいきんヤマトパンクスとしーなちゃん好きすぎて文体映ってる自覚が少しある。被れって一番恥ずかしいからやめたい!けれども私は、ブログかるた(なに?それは)をできるレベルでヤマパンのブログを読みすぎている。noteもアメブロも、文頭言ってくれればタイトル都内容言えます。なんであの人のブログはあんなに面白いの?エセ近代文学的文章(森見登美彦のムック本で、彼が自分の文章をそう言っていた)
だから、うんこデーモンの話、インターネット・オタク話をしてても、どことなく高尚な感じがしてめちゃくちゃ笑える。
https://kansai.pia.co.jp/interview/music/2020-04/pkshampoo.htm
不調和の調和に、ロマンがあるのかも。
ロミオとジュリエットも、身分の違う二つの家の話。それが結びつこうとするわけで。
オペラ座の怪人も、「オペラ座」という絢爛豪華な場所と「怪人」というおどろおどろしいモチーフを並べて、本来なら相容れないもののはずで。
本来結びつくはずのない複数のモチーフを、無理やり合わせようとして、N極とN極を近づけた時みたいに離れそうになったその瞬間! そこを捉えてるものが、名作かも! いい学びでした。
あとは、短歌も勉強したいと思った。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
とか、短歌ってたしかに不調和のかたまり。
たくさん短歌を知るのって、ロマンへのアンテナを磨くことにつながりそうだ。
そんなことを考えながら、帰りの電車でpk shampooを聞いてた。私は、本でも音楽でも、一つきにいると、数ヶ月そればっかり聞いてしまう。ミーハーではあるけど、数打てないっていう弱点がある。もっとひろげよう!と思い、浪漫革命をきいた。『アバンチュール』かなり好き!!
絶対に2番手男役に中詰で歌ってほしい。中村Bショーあたり。娘役3人引き連れて。「君とアバンチュール」の歌詞で15人ぐらい釣って!
望海さんはこういうの似合うだろうな。
あとはオレンジスパイニクラブの『敏感少女』もとても好きになった。以前素敵な人が弾き語りをして気になって、ライブ映像見たんだけど、じわじわとテンションが上がっていく構成が天才だと思った。疾走感。そしてリアル。人間らしい。
わたしは現実を冷め切った目で見ている反動で、人一倍ロマンティックを求めてる節がある!