きのうのよる

いくぞ

「足る」を知りたくない。

早速三日も空いていて、わろた。

11/18(金)

もつやきばん@中目黒へ。リスケを重ね、わたしの体調不良も相まって開催が危ぶまれていたが無事に決行できてよかった。

憧れバカ高レモンタワーをやるぞと意気込んで入店したものの、焼酎と炭酸の割合何も説明されなかった。なんかまあ、ええか!と、3杯分の焼酎がジョッキに入ってるのに1回分の炭酸で割ってぜんぶ飲んでしまった可能性がある。ショボ目タワーできた。最高だ。

おっぱい串おいしかった。タン美味しかった。もつ煮込み美味しかった。あんなにぶりぶり入ってるの最高だよ「風邪気味だからネギ全部あげるよ!」と友達がわけてくれたのは、まぎれもなく愛だったな

 

「まだぜんぜん飲めるわ…」な私たちの行く手をは阻んだのは2時間の時間制限。焼きおにぎりをややRTA気味で食べながら退店。

そのあとは酒とお菓子買って中目黒の桜並木のとこ沿いでしゃべった。私たちの手にかかれば、路上も居酒屋よ!

 

友達の「さいきん人間嫌いが加速してきて、潔癖すぎる」という悩みをきいた。

 

わかる。これは私たちが2人とも中高一貫育ちなことに起因してるんだろう。例えば中高とかからの長い付き合いの友達がいて、6年間で「この人はこういう人。こういうことはしない。」という勝手な幻想を固めやすくなってる。だからその反動で、「わたしが考えた○○ちゃんの行動原則」から逸脱する行動や発言をしているのを見るとダメージを受けやすくなってしまってるんだと思う。そんなケースが少しずつ増えて、人間全体への失望に変わっていくのかも。

たぶん、逆も然りでわたしも誰かからはこういう風に思われてる。でも、人間が嫌い!という感情って、自他境界の狂いはじめかもしれない。

何年一緒にいても、その人の全てを100%理解することなどできなくて、人間は変わっていく。変わり始め萌芽までも、全部把握した気になってしまっているだけ。

まあ、あとなんだろう。人間がキモい、嫌いなのは大前提として、達観するには私たちはまだ若すぎる気もする。私も友達も、自分で言うのは恥ずかしいけど、かなり同年代の中でも悟りを開いている部類だと思う。生きてきた20数年

という時間と、学んできた人生哲学の量が釣り合ってない。言い切る。これは、私が自分達のことを大好きな理由でもある。

けど「酒を飲め男と遊べギャンブルをしろ。」ということではなくて、マインドとしてハメをもう少し外した方がいいと思う。「お、人間キモ……嫌いだわ〜。でも私にもそういうところが沢山ある。お互い様ね」という風に持っていくのがベスト。

私は最近自分のキモさに嫌気がさしてて、私がこんなにキモいならみんなキモいのは当たり前。と思うようになった。   承認欲求や、何者かになりたい欲、そのくせ寝転んだり、日記も日付が開けてしまったりね。そういうところ。

 

「足るを知る」の境地には、まだ行かないように抗う必要がある。藤井風の聞きすぎには気をつけよう。自分たちの達観や悟りという、特大武器は大切に磨きながら!

 

ここで、一つ思ったこと。

ライフステージや経済状況の変化、職場や学校など新しいコミュニティで形成された倫理観、環境要因が「わたし」に影響を及ぼして、昔馴染み(たとえばXさんとしておく)からみれば「わたし」は変化していっているように見えるというわけだ。その変化によって、嫌われたり、レアケースだが逆にもっと好かれたりしていく。嫌われても、好かれても、「わたし」はXさんにとって友達だから、関係は継続していく。

その場合、Xさんは「わたし」の何がすきで友達関係を継続してくれるのか。いろんな環境要因によって、Xさんにとっては不快と感じるような「わたし」の変化が垣間見えたとしても、変わらず好きでいてくれるのはなぜなんだろう。どこなんだろう。

 

考えすぎじゃない?(笑)

友達には理由はいらないよ!

 

 

そんなの当たり前だ。でも「理由はいらない」じゃなくて、あえてそこを考えてみたい。

「わたし」の根本を大切にすることが、「わたし」のいわゆるキモさが露呈した時の救済になるんじゃないだろうか。   じゃあ根本を大切にするって何?環境要因によって、根本も少しずつポジティブ&ネガティブにかわっていってしまうものだ。誰も止められない。

でもたぶん、根本なんかないんだろう。友達と一緒に過ごしているときの、わたしの仕草や言葉とか笑い方とか眼差しとか。そういうものの蓄積が、友達からみた「わたし」を作り上げているんだと思う。だから、それを大切にしたい。

 

 

あとは、マカロニえんぴつの悪口を言った。

私はマカロニえんぴつや川崎鷹也に親を殺されたんだろうか。それぐらい好きじゃない。何かを「嫌い!」って言う時、そこには自分が人間として譲れないこと&許せないことが潜んでいるので、向き合うのがいいとされているよ。最強の自己分析かも。

 

私たちは「好きや嫌いの気持ちをはっきり言わず、相手にジャッジを委ねる人間が嫌い!」

相手に選択の余地を与えて慮っているようで、自分が一番かわいいんだね。はっとりは!という結論。エゴだよ。僕より先に死なないでほしいて…    まあそういうエゴもいいけど。

「相手の前では謙虚でまっすぐでいながら、心の中に燃え上がるエゴの炎を消し止めようとする、けど無理」って苦悶の過程はめちゃくちゃおいしいし美徳。けど、エゴそのものを相手に押し付けんのはいや!

 

逆にひげだんは、全部いう。謙虚。相手ファースト。献身  自己犠牲 Subtitleはよすぎ。サイレント見てないけど。見るからね。かならず

そんな話をしながら中目から渋谷までただただ歩いた夜は宝物だった。東京勤務になりますように……………